置き忘れた双眼鏡


先日約30年間愛用していた双眼鏡ニコンのダハプリズム、8倍対物30m/mをチョット立ち寄ったドライブインのトイレに置き忘れました。20分ほどたって忘れてしまったことを思い出し、あわてて戻ってみましたがありませんでした。ドライブインの方にお聞きしましたが忘れもとして保管はされていませんでした。がっかりでした。
 この双眼鏡は大間々町に赴任して買い求めたものでした。とにかく身近に沢山の野鳥が住んでいたり、飛来してくるので是非バードウォチングをしたくなりました。子供ころは良く兄と冬の最中4時頃おとりのメジロやヒガラやヒワをつれて鳥を取りに行きました。当時の男の子達の秋から冬にかけて遊びの一つでした。私も飼育していました。そんなわけで、根っから小鳥が好きであったので、森や山や水辺の多い大間々に招聘されたのをキッカけに、是非バードウォチングのしようと思い立ちそのために購入しました。
 それからは、季節に関係なく時間の余裕ができると車に乗り、時にオフロード(トライアル)のバイクにまたがり、近くの山々や沼、川に行きました。良く見かけるホオジロ、ヒバリ、ウグイス、メジロ、ヒガラ、コガラ、ヤマガラ、シジュウガラ、コウジュウガラ、紋付(ジョウビタキ)等から始まって、渓谷渓流に住むミソサザイが小さな尾をくるくる回しながら、ひときわ大声でさえずるのを楽しんだり、木の天辺で澄み渡るようなさえずりをみせるオオルリ、馬のいななきに似ているコマドリ、全体は黒く喉が橙いろのキビタキ、林に住む月、日、星、ホシ、ホシ、ホシと聞こえるサンコウチョウの長い尾羽にひとりうっとりしたり、アカベッコ、キイー、キイー、キイーとさえずるイカルの大群、ヒホー、ヒホーと鳴くウソの大群、珍しいところではピラカンサスの実をついばむキレンジャクヒレンジャク、鳴き声のわかならいルリビタキ、頭の羽が興奮すると菊の花が咲いたように見えるキクイタダキ、宝石のあだ名をもつカワセミの水中へのダイビング、白とグレーの市松模様に似た羽毛をもつヤマセミホバリングと春先の巣穴の様子、白鳥、オシドリ、オオナガカモ、ちょこまかちょこまか水中にもぐるカイツブリハヤブサ、鷹、トビ、この30年間双眼鏡を通して見てきた鳥達は数え上げればきりがなく、又楽しい思い出です。

      ヒレンジャク
 双眼鏡も約30年経つと眼鏡をかけた人のためにある接眼レンズの着いていたゴムも劣化して右側は取れかかっていました。紛失したことを確認した後、ただ失くしたことへの悔しさだけでなく、こうした楽しい思いでも一緒に失ってしまうよな気がして、言いようのない失望感と寂しさと、悔しさが入り混じって複雑な心境になりました。
 失うとは、失った対象物だけでなく、そのものとの関係によって得ることできた思い出、記憶やさえ喪失してしまうような気になることを知りました。 神が最初の創られてアダムとエバを失った時の悲しさはどんなであったのだろうか。失ったものへの悲しみは、たかが双眼鏡でも案外大きかったのを知ると、神が失われたたましいに対する失望の度合いは到底はかりしることができなだろうなと思いました。