老醜が愛に変わるなら


これは私の左手の甲にできた1cm弱のシミです。いつ頃からできたのか記憶にありません。皮膚科でシミといった場合、一番多いのが「肝斑」といわれるものだそうです。これは女性に多く、黒褐色から淡褐色の色がつくそうです。又、次に多いのが同じように日光によるものと考えられている「老人性素斑」と呼ばれているようです。これはお年寄りに見られるシミで、よく「老斑」と呼ばれるものだそうです。私の場合最近になって気がついたものですから「老班」だとおもいます。加齢と共にできたものらしくブログを読んでくださっている方々には見苦しい限りで恐縮しています。
 自分のシミを見ていて、つくづく加齢を意識せざるを得ませんでした。さらに、「老醜」「汚れ」「不潔感」だけなく、老人の特有の頑固さや、おこっりぽい傾向、執着心や偏執性さえ連想させられました。今は大人となって対等に話ができるようになった子供達の批判に耳を傾けると、私も若い時に決してなりたくないと思っていた「老醜」や「偏執」に支配されている老人になっていたようです。自己嫌悪に陥りました。
 しかし、良く見るとこのシミはハートの形に見えてきました。「あなたは見えてきませんか。?」ハートの形が愛を象徴するものだとすれば、老醜が愛に変化するとは何と感謝なことでしょうか。勿論ハートの形が愛を象徴するとは云え、シミはシミで、どこまで行ってもシミであり、醜さはなくないでしょう。しかし、醜く映るものが愛に変化するとすれば、それは何とうれしいことでしょうか。加齢による醜さを覆い隠すように愛が溢れるようになるなら、加齢は願ってもないことです。
加齢によって避けがたい老醜を豊かな愛で覆ってくださるのはキリストの愛以外にありません。「老醜が愛へ」この変化を大いにキリストに期待したいものです。