スリッパ除菌

 先日、群馬の小さな町の医院に行きました。実の姉が利き腕を骨折して治療を始めたからです。病院の玄関に入ると左側に受付のカウンターがあり、右側に履物入れが設置されていました。患者は靴を履いたまま診察券を出し受け付けをすることができ、玄関を上がると直ぐそこは待合室でした。靴を脱いでスリッパに履き替え待合室のベンチに腰掛け、診察と治療を終えるまで待つことになりました。
 姉の治療が終わったので帰ろうとしてスリッパを靴に履き替えようとしました。そこに一台の機械が目に止まりました。驚いたことに、それはスリッパを除菌するための機械だったのです。(写真)使ったスリッパを機械の上に載せると落ちながら除菌されて下に出てくる仕掛けのようです。
 私の67年の生涯で、このようにスリッパの除菌機械が置いてある病院(医院)は始めてことで新鮮な驚きがありました。
 ところで聖書は「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、」(ローマ3:23)「もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。」(Ⅰヨハネ1:8)と記されています。
 聖書によれば、私たち人間は罪という霊(たま)しいの病をもって生まれてきました。この罪は「人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです。」(マルコ7:21−:23)そして、「罪から来る報酬は死です。」(ローマ6:23)とあるようにえ私たちに死をもたらせるのです。それは永遠の死です。しかし、このような罪を放置しておいて良いものでしょうか。
 時々私たちのごくごく身近に死に至らしめる癌に侵されてしまう方がおります。その人とそのご家族は、できるだけ長生きをしたい、させたいと考えます。そして死に至らしめることがわかったとしても、尚治療に専念するのではないでしょうか。また最近では心の病気にかかったる人が大変多くなってきています。これらの方々も治療を受け、病気を治そうするものです。
 しかし、私たちの罪という霊しいの病気について驚くほど無関心ではないでしょうか。人は永遠の滅び、死をもたらす罪を治療しようとはなかなか考えません。そこから立ち直ろうともしません。私たちが最も問題にしなければならないのは実に罪という霊しいの病気から癒されることなのです。なぜならば、私たちが不幸だと感じ、考えることのすべての原因がこの罪にあるからなのです。
 イエスはこうした罪という霊しいの病気にかかった人に向かって、「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」(マルコ2:17)と言われました。イエス様こそあなたの罪という霊しいの病気を癒される唯一のお方、お医者様なのです。
私たちは肉体の病について、スリッパさえ除菌する機械を置くような時代に生きているのですから、なおのこと、すべての不幸の原因である罪という霊しいの病から癒してくださるイエス様のところ行き、不幸や悲しみから解放していただこうではありませんか。